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打ち合わせで上野に出たついでに国立西洋美術館のムンク展を見てきました。

最初の方に展示されてた絵(代表的な「叫び」に近い芸風の絵)はどれもちょっと構成上の意図が分からず、いっしょうけんめいポイントをメモろうとしながらうなったりして1時間が過ぎましたが、3部屋目から急に明快なフォルムと流れの良いタッチと綺麗な色面で作られた僕の好きなタイプの絵ばかりになりました。(ゴーギャンとマティスとセザンヌとピカソの良いトコ取りをしたような感じ!)
面白かったのは、序盤の方の絵のメモスケッチをしてたとき、見たばかりの筈の絵からメモに目を移す頃にはかなり忘れていたことです。

これはどういうことかなーと考えてみました。

たとえば実生活で
「ちょっと、そこの本をとってくれる?」※1
と言われたとします。
そこで「今わたしが言ったことを復唱しろ」と言われたら
それはとても簡単だと思います。

しかし「くれる? とって 本 そこの ちょっと」※2
と言われたら どうでしょう。
我々が知っている文法から外れたものはちょっと覚えにくいと思います。

まして
「本のをこ、そってとれくるょとっち?」※3
とかシャッフルされると余程の記憶力が無いと復唱はムリでしょう。
同じ文字数にも関わらずです。

こんな感じで我々は「あいうえお…」の並び順を覚えてるワケではなく、文節ごとと、「この言葉の次には通常こういう言葉がくる」という相互関係で言葉を把握してると思います。

抽象的な要素の強い絵は構成や線による組み立てやリズム作りの要素が強くて、ある線の流れについてこの線が受けるリズムを作っている、このモチーフとこのモチーフがつり合っている、という相互関係が多くの場合見てとれます。線や組み立ての1つの要素を「あいうえお…」の1文字だとすると、序盤に展示されていたムンクの絵はその順序や形態が僕にはさっぱり読めなかったので、忘れやすかったのかなと思います。まして要素をまとめたメモ描き(あらすじ)なんて作れなかった感じですね。

絵を見るときに構成などを意識できるようになれば理解できる範囲の絵から得られる情報量は格段にアップするのですが、感覚としては漠然と絵を見てる状態が※3だとすると※1になっていく感じですね。
音楽でいえばコード理論を知れば漠然と聴いてる音楽の組み立てや成り立ちが分かることにも近いですね。知らないコードが使われてる曲はさっぱり音が採れなかったり。

こういう、感覚面を無理やり説明する方法を考えることは案外楽しいです。マジメに語ってるように見えますが案外そうでもありません。いい加減&投げっぱなしが僕クオリティー
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